よく「一番古いパズルは何ですか」という質問を受ける。著者はこれに対して「迷路です」と答えることにしているが、それに間違いないはずである。鍾乳洞のような天然の迷路なら、人類の発生する以前からあったのだから。
したがって、人間は当初から迷路と深いかかわりを持ったに違いない。神話学者のカール・ケレーニイによると、古代の彫刻などに見られる渦巻模様は、大なり小なり迷路をイメージして作られているという。
迷路は死の象徴であり、それを抜け出すことで復活を表す。また迷路によって特別の力が得られると考えられた。北欧の石積みの迷路[1]やイギリスの芝生の迷路は代表的な例である。やがて教会の床等にも迷路[2]が描かれるようになる。
しかし、こうした迷路はパズルとしての要素はなかった。迷路がパズルとなるのは、庭園の中に生け垣で迷路が作られるようになってからである。
イギリスのハンプトン・コートにある迷路[3]はその代表的なもので、これは1690年にウイリアム三世のために作られたものである。
こうした庭園迷路は、ひところ大流行した巨大迷路の前身といってもよい。巨大迷路は、1885年に京都に醍醐グランメイズがオープンしたのをきっかけに、全国的に広がった。
しかしパズルとしては、紙に描かれた迷路で楽しまれるケースか多い。1972年、ロシア生まれの画家V.コズイアキンがデザイン的におもしろい迷路を発表したことにより、ひところ迷路の本が爆発的に流行している。
このように迷路は古くて、しかも新しいパズルだということができる。ところで、庭園迷路や迷宮から脱出する簡単な方法として、片手を壁に触れたまま壁なりに歩いていく方法がある。ハンプトン・コートの迷路は、この方法で入り口から中央に至り、また出てくることが可能である[3]。もしこれで同じ所を回るようなら、その場で廻れ右をして反対側の壁に同じ手を触れて前進するとたいがいうまくゆく。紙に書いた迷路の場合は、三方を壁で囲まれた袋小路をすべて塗りつぶし、それによって生じた袋小路も順に塗りつぶしていくと、最後に進路だけが白く残る[4]。