1−22.サム・ロイドのパズル |
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デュードニーと万事対象的なのがサム・ロイドである。サム・ロイドはアメリカの生んだ最大のエンターテイナーと言ってよいだろう。サム・ロイドは1841年生まれだから、デュードニーより16歳年上である。彼は若い時はチェスに夢中で、16歳のときに『チェス・マンスリー』の出題編集員となった。 彼がパズルで最初の成功を収めたのは、「トリック・ドンキー」[1]である。この図を破線に沿って3片に切り離し、それを並べ替えて、乗馬服を着た2人が疾走するろばに乗った図を作る。このパズルのおもしろさは、実際にやってみないと分からないので、[1]をプリントして試してみてほしい。このパズルによってロイドは1万ドルも稼いだといわれる。 サム・ロイドで最も有名なパズルは、「14-15」パズルである。15パズルについては一項を設けて詳述するが、1878年に創案されたパズルで、サム・ロイドは[2]のように14と15だけを入れ換えたものを元にもどすバズル「14-15」パズルを提起し、これに1,000ドルの賞金をかけた。そのためにこのパズルは爆発的に流行した。しかし、だれも賞金を手にすることはできなかった。この問題は不可能だったからである。ロイドはそのことを知っていて、話題作りに利用したのである。 話題作りと言えば、ロイドは1903年に出した自著『タンの8番目の本』の中で、4,000年以上前に中国でタングラムの本(7巻本)が書かれていると述べている。これが少し前までたいていのパズルの本に書かれていたタングラム4,000年説の原典であり、マーチン・ガードナーは「ロイドはこの遊びの紀元に関して、とんでもない伝説を創作した。これはパズル史上最大の冗談である。」と書いている(『サイエンティフィック・アメリカン』、1974年8月号)。ただし、この話がこれほど広まったのはロイドだけの責任ではなく、そのよた話を無批判に受け売りしたパズル家にも責任の一端はあると思う。 サム・ロイドの最大のヒット作は、「地球追い出しパズル」と考えられるが、これは後で紹介することとして、最後にいかにも彼らしい小馬のパズルを紹介する。[3]の図をプリントして6片に切り離し、それを並べ替えて、できるだけ形のよい馬を作り出してほしい。彼は英国のアビントン・ヒルに刻まれた白い馬の形[4]から問題を思いついたという。 |
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